通過してきた南チロルと呼ばれるイタリアのドイツ語圏では、地名の表示はすべて独伊のバイリンガル表記でした。第二次大戦のときイタリアとドイツは日独伊三国同盟ということで、ナチスはこの地をドイツに編入することをしなかった(できなかった)ので、戦後も国境線は変わっていません。その点がフランス・ドイツ間の国境とは大きく違っています。写真のBrenneroがイタリア語、Brennerがドイツ語です。一字違いでしかないのですが、これって馬鹿馬鹿しいことなのでしょうか・・・
到着したのは、レーザッハ谷のObertilliachという村です。写真はちょっと下流のMaria Luggau村で、この辺りに来るのはもう4回目です。大変に傾斜のきつい谷なので、スキー場も作れず、観光シーズンは夏だけの場所です。涼しくて(今年は寒い)静かに静養するのにはもってこいの、何もない所です。
そして宿の窓から見える南側の山々(奥の方は霧で見えていない)の向こうはイタリアで、そこが国境であると同時にゲルマン語ロマンス語の境界線です。以前来たときには、素朴に向こう側は、イタリア語なんだと思っていましたが、今回はこのブログのためにイタリアの言語地図を見て 調べてみました。すると山の向こうの向かって右側はヴェネト語とラディン語の混ざった地域で、向かって左側はフリウリ語で、所々にドイツ語を使用する飛び地があるということです。
この地域のドイツ語は、Southern Austro-Bavarian(南オーストリア-バイエルン方言)というようです。スイスドイツ語同様に標準ドイツ語とはずいぶん違います。写真左上は、ドイツ語オーストリア方言全般の辞典。その下はフリウリ語の辞書で、右側はラディン語の入門書ですが、どちらも前述したレトロマン語の仲間です。ヴェネト語の本は、まだ持っていない!
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