ロレーヌ地方に来ました。フレンチ・フレミッシュのカレー付近に始まった言語境界線はベルギーを東西に横切り、マーストリヒトとリエージュの間を抜けた所で向きを南に向けます。前に書いたSt-Vithの辺りを通り、ルクセンブルグ付近は不明確ながら大体西側のベルギー国境に沿って南下し、フランスに入ってティオンヴィルから南東に向きを変えロレーヌ地方に至ります。
ロレーヌは、ドイツ語でロートリンゲンと言い、2度の世界大戦が襲い、そのたびに国境線が変更されました。フランスもドイツも自国民を守るという大義名分の裏に、石炭と鉄鉱石という産業の基礎的資源欲しさから、この地方の領有にこだわり続けました。今日の国境線は、ドイツの敗戦の後に確定されたものなので、歴史的言語境界線よりかなり北を通っています。写真は田舎道から目には見えない国境線を見たところです。中央の並んでいる杭の左側がドイツで右側がフランス。
あまりに田舎道なので、国境を示すどんな標識も道路上にはなかったのですが、道端に小さな石碑が建てられていました。「過去には国が隔て、今は人が結ぶ」みたいなことが、独仏両語で書かれています。こんなのどかな何にもない場所で、多くの血が無駄に流されたかと思うと心が痛みます。命を守る、国を守る、国益を守る、自国民を守る、どれも似ているようで実は違います。自国民を守るというために、世界の大国は他国を侵略をしてきたし、今もしています。
ロレーヌの言語線より北側の言葉は地元ではplattと呼ばれるドイツ語のロレーヌ方言でした。ドイツ語アレマン方言の一種らしいのですが、地元ではそういう意識はないのかな?plattとは低地のことでプラットドイチュというとドイツの北の方の方言を指すのですが、ここのplattはそれとは関係ないようです。通りがかった田舎の村でおじさんたちが、なまったドイツ語を話していたのがたぶんこれなんでしょう。
もちろんここはフランスです、他のほとんどの聞こえてくる会話は想像通りフランス語でした。
この本は子供がこの祖先の言葉plattの単語やフレーズを学べるように、フランス語とPlattが対訳で短い話が書かれたものです。
宿(Petit-Rederchingという村)の人やレストランの人などは日常語はフランス語のようですが、上手な標準ドイツ語を使っていました。訪ねた近くの村や町では、ほとんどドイツ語表示を見かけませんが、教会の入り口や野に建つ十字架などにはドイツ語がしっかり刻まれていました。
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