2014年8月20日水曜日

アルザス・ユダヤ人

言語境界線はロレーヌからアルザスを北から南に抜けて、スイスへと入っていきます。
アルザス地方とロレーヌ地方は、フランス語ではアルザス・ロレーヌ、ドイツ語ではエルザス・ロートリンゲンとして一緒に語られることが多いようです。今回両方に行ってみて思ったのは、ロレーヌはアルザスに比べて地味だということ。木組みの家並み、観光名所の多さ、お土産屋の充実など、どこをとってもアルザスは華やかな所です。写真はオベルネの町。
そんな派手なアルザスで誰も行かない(だろう)超地味なBouxwillerのユダヤ博物館を訪ねてみました。 中世にはライン川に沿っていくつかの町に住んでいたユダヤ人は、ペストの流行や十字軍運動に連動した迫害から、各地に離散していきました。その内のいくらかの人々が、そう遠くないこの地アルザスに住み着きました。この博物館もかつてのシナゴーグだったようです。先日ブリュッセルの反ユダヤ主義者によるユダヤ博物館の爆弾テロがあったので、ここに来るのはちょっと躊躇があったのですが、来てみるとほとんど人気のない場所で、テロリストもここま
では来ないだろうと安堵しました。

写真は博物館の中にあった展示で、アルザス語の中に残る、ヘブライ語起源の単語を並べたものです。アルザス語とは、ロレーヌのPlattと同様にドイツ語の方言ですが、アルザス人はドイツ人でもフランス人でもない、アルザス人としての誇りを強く持っていることでも有名です。やはりここでも伝統的言語使用者の減少は深刻なようですが、就職に有利といった現実的な理由から標準ドイツ語を学ぶ若者の数は増えているそうです。ただそれがアルザス語の保護に役立つのかは未知数ですが・・・


 前述のようにライン川流域を追われたユダヤ人たちは、今日のウクライナやベラルーシやポーランド付近に移り住み、それがアシュケナージと呼ばれるヨーロッパ系ユダヤ人の起源となったという説明は、つい最近までは主流でした。彼らの話すイディッシュ語というゲルマン語系の言葉こそが、その中世の移住の証拠だとされてきました。でも今日では異説が出ていて、本当のところは分からないままです。写真右は、アルザス語の入門書。












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