2014年9月4日木曜日

分裂町

フランス・ベルギー国境でWervikとWervicq-sudのことを書きましたが、イタリアとスロヴェニア国境には、GoriziaとNova Goricaという国境で分断された町があります。
元は一つの町だったのに、間に国境線が引かれて2つになってしまいました。2004年以降は再び自由に行き来ができるようになったのですが、スラブ語系スロヴェニア語とロマンス語系イタリア語の世界って、将来は一つに戻れるのでしょうか?
これがイタリア側のGorizia。





反対側はスロヴェニアのNova Goricaです。鉄道はスロヴェニア側を通っているので、イタリア側から見ると国境線の向こうです。









 イタリア側のS.Gabriele(聖ガブリエーレ)通り52番です。











そのままスロヴェニア側に進んでその隣は、かつて国境検問所だった建物で、Erjavceva ul.53番です。もともと同じ通りなので言語と名前は変わっていての番号は続いています。ちょっと不思議!







これはGoriziaを出てすぐ隣町のLucinicoという町の出口の標識ですが、バイリンガルで書いてあったので後で調べてみました。イタリア語のwikipediaには、この地名についてこう書いてありました。Lucinico (Lucinîs in friulano standard, Luzinìs in friulano goriziano[2], Ločnik in sloveno, Lutschineick in tedesco, desueto).つまり2番目の表記は、フリウリ語のgorizia方言ということのようです。Goriziaではかつてイタリア語・ドイツ語・スロベニア語・フリウリ語・フリウリ語gorizia方言の5つが使われていたのだそうです。

言語境界などというものは、このあたりでは引くことは不可能だということが良く分かりました。 ただ今日では国と国の国境線が、実質的言語境界線となっていることも思い知らされました。

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